偉大なるワールドレジェンドシェイパーディックバンストラレン
ディックバンストラレンは1960年代にオーストラリアシドニーのサーファーたちとクイーンズランドに移住してきた最初の1人だった。彼はシドニーで結婚しカンタス航空で働いていた。その頃彼は思った、今より良い仕事はないのかと。彼にとって良い仕事とは最低週2,3日の休日があることと給料が良いこと。これらは彼がコンビバンに乗りクイーンズランドの北にサーフィントラベルに出ることが出来ることだった。(私たちは両親からのプレッシャーから逃れたかった。それならいっそのことクイーンズランドに引越しすればよいのさ!そして定住の土地クイーンズランドはゴールドコーストに移住したのです。当初私たちはひとつの家に20人以上で住んでいた。そこから牧場の中にある小屋でシェープの仕事を始めました。最初の仕事はブリズベンにオープンしたてのサーフショップKENGOODNSVAGERのADLERSURFのために。オーナーのKENは私に車を与えてくれた。そして私はファームでボードをシェイプしフィニッシュとポリッシュをしにブリズベンまでドライブすることの繰り返しであった。そして私たちはキラに空き店舗があることを知り、スポンサーのKENに話をして、そこにショップを構えることになった。その名はSEASPILIT。そこで私はボードをシェープするためにハイウェイ沿いにファクトリーもオープンした。そこでは私ディックバンとキースポール、ニールセン、そして二ールパーチェスも共同でシェープした。私たちは全てのボードをここで作りブリズベンとSeaspilitにおいた。その頃のライダーにThorntonfallander,ジョーイーグル、マイケルホー、マークフーのような人々。古いバーレーシアターアーケードでも1970年以降のドラッグカルチャーによって時代を劇的に変化させていた。それからまもなく私にとっての暗い過去であり忘れられない出来事が起こる。それは火事によって全てが違う方向に動き始めた。全てをなくしそこから私はアンダーグラウンドでシェープし続けた。その時妻と始めたSeaislandclothingがスタートし風向きが変わった。1995年にデービッドラスタビッチ(ラスタ)と出会いもう一度本格的にシェープを始めるきっかけとなり今がある。)
|